漁港の肉子ちゃん(映画)をみた
29日。
昨日は漁港の肉子ちゃんを見たのがハイライト。
見に行くかどうか迷ったが、結果見に行って良かった。
だいたい、こういうときは直感に従った方が良い。
直感が働くのは本当に直前なのでバタバタすることになるがそれもまあ仕方がないのだ。
というか、結果に満足するかどうかは結局自分の心持ちの問題なので、ギリギリまで迷ったらそりゃ「やむをえなかった」という言い訳が心中で成立するということだろう。
「僕」たちはいつだって言い訳を探している。
漁港の肉子ちゃんはそもそも一昨日果て部でばずってたあでのいというひとのブログを読んで見に行こうと思った。「望まれて生まれてきたんじゃない子供にも「望まれて生まれてきた」っていうのがあるべき姿ってもんだろう」的な一文にグッと来たのだ。
こういう人間賛歌的なものに弱い。
自虐の詩とかも、最後の部分「人生には明らかに意味がある」を思い起こしただけでちょっと胸がじんわりする。
昔は、ひねくれていたのでこういう宣伝やアフィを見ても誰が買うねん、見に行くねん、と思っていたけれど、今は素直に劇場に足を運ぶし、リンクをクリックしてCVに貢献するようになってしまった。
それはまずお金に余裕ができたからだろうし、もう一つは俺が何物にも左右される確固たる自我を持った大人物だという自意識がへし折れたからだろう。
俺はすぐに影響されるし、軽率に人の勧めを信じるよ。
それを前提に、いろいろと調べた方が結果として失敗も少ないのだ。
長く生きると経験値がたまってやはり失敗は少なくなる。
また、人生の歴史の分共感できる場面が増えて涙もろくなる。
そんなのほんとかなと疑っていたが、28の身空ですでにかなり実感している。