自信ははなぢとともに流れ落ちたか?
結局、自信は持っておいた方がいいのだ。
それが張りぼてだったとて、自身を持たずに肩を落としている状態では食える獲物も食えないし、張りぼてであることがばれた時の苦しさなんて、所詮感情に対する影響でしかない。
実利を見据える生き方がらくだ。
ラジオを編集して、映画は見なかった。
それが昨日の話である。
Netflixで『おおかみこどもの雨と雪』を見ようと思ったが、セックスしたあたり(つまりまだ全然序盤)でストップ。
1.5倍速はNetflixにはあり、AmazonPrimeにはない。
だから、同じ映画があるならNetflixで見る。
Amaonは意外と映画愛を重視しているのだろうか。
それとも、そんなことは視聴履歴に関係ないとデータに表れているのか、実装にかかるコストの方が大きいのか。
映画は見なかったのに、あまり時間がない一日だったなと思う。
暑くなってきて、どうも能率が落ちている気がするのだ。
一昨日はなぢがどろどろ出て、右の鼻孔からはずるりと血まみれの塊が流れ落ちた。
多分でっかい鼻くそだと思うんだけど、脳味噌の一部だということも否定できない。
今のところ、文字や相貌を認識しているように感じられるが、それは本当だろうか。
編集したラジオは9時に投稿。
なんかもうあきたように思っていたが、やっぱり自分の話はどうにも楽しいね。
どれだけ自分の身近な話だと思わせられるかがコンテンツを視聴させる引き金だと思う。
ただ、それを究極的にすると著作権侵害や肖像権侵害、ひいては人権侵害になるのでバランスを取らねばならない。
かなり後ろの方でとって、何か耳目を引くものを作れたらそれは本当の才能だろう。