世代-世界の変化について―
また暑さが戻ってきた。
夏は暑くなくっちゃなんてセリフが浮かんでくるが、それって夏が暑い世代として価値観がインプットされてしまっているからだな。
世代で価値観は断絶される。
正直言って、もうティーンの気持ちはわからない。
焦燥感とか、友達との関係とか曲にしても物語にしても嘘になるだろう。
だから若いうちの瑞々しい感性が……なんて文言をすぐ小説すばるとか、RockJackの選考委員は使いたがる(※未検証。イメージがある)んじゃないの?と思うが、でも、じぶんにふたたび置き換えると、10代からティーンの気持なんか別にわかってなかった気もする。
結局世代でくくることなんかできないけど、世代にしかない何かもある。
ああ、また否定も肯定もできる命題が一つ。
結局その衝突でこの世はできている。
若くてきれいな自分を残したいと昔の女優はヌードを取ったりした。
最近はしない。
それは、インスタやTIkTokなどのソーシャルメディアで残せるから?
でも別に昔もテレビの媒体とかでは残ってたよなー。
とはいえ、自分というものが記録される機会がかつてに比べて何倍にも増加しているのは確かだよな。
そのせいで、世代を超えた現代の「人間」という種族の意識も大きく変わってしまっているはずだ。
スマホ脳とかそういう話ではなく、世界はアポトーシスを繰り返して。ひとくくりにかつてと同じ世界に見えて、毎秒ごとに変化している。
こういう事実を思えば、案外輪廻転生とかもあるのではないかと期待してしまう。
概念を抽象化するとどうしても宗教臭くなるな。
夏である。