NKY指数について
嫁はんがげろを吐いたり、俺は漫画喫茶で『なるたる』を読んだり。
逆ソードマスターヤマト。丹念に67話かけて大きな傷を負いつつも成立するところまで持ってきたストーリーをセカイ系の暴力でデビルマンにしてしまう。全体のプロットは最初から決まっていて、ただ、不人気により1巻分早く終わることになったらしい。だからこその「タハハ…」感なんだけど、あと1巻分丁寧にされていたらこの一種独特な感じは味わえなかったのかもしれないと思う。子供が親に欲情するタブー感・きもさはアリ・アスターの短編でもあったが、こっちの方が早かったんだなあ。
鬼頭莫宏はかなり好きな漫画家だ。
設定がジブリのように広大で、かつ独創的。それに中二感とかサブカル感があるのでだいぶ趣味に合う。
ペドフィリアっぽさと読者を最期に突き放す感はあんまり合わない。
俺は偽物の文学が好きである。思想とか哲学っぽいにおいを残しつつも最後はサービスしてほしいし薄甘いメッセージで気持ちよくしてほしい。
みんなそうだとおもうんだけどなぁ。
でも、みんななんて嘘だということもわかってきた。
というか、それがわかっていないということがわかってきた。
個々の人間に自我があり、それぞれの思惑に従って相いれないで行動する。
それがいまいちわかっていなかったので、やはり壮大な大人向けの物語で、行動を丹念に追わなければわからない思惑があり、それが変化し、登場人物もそのときどきの化学反応によって変動するという話を見ると、「すげー」と思う。
人間理解が浅い俺には難しい領域の作劇だからだ。
人間が好きか、人間が大嫌いじゃないとできないんだろうなと思う。
俺はどっちでもない。
俺は物語が好きな側の人間だと思って20代くらいまで生きてきたが、そうではないようだ。
仕組みとか構造には興味があるけれど、物語やキャラクターに愛情がない。
すなわち、オタクではない。
オタクの定義はいろいろ割れるだろうから難しいけど、ここでは「特定のカルチャーや作品、キャラクターに「愛情を持つ」人間」と定義する。
俺は、何を見ても「なるほど、こうやるのか」に収れんする。
だからその度合いが大きい作品ほど好きになる。
個の度合いをNKY(なるほどこうやるのか)指数と名付けたい。