子は留め金
昨日も色々やれたという意味でよい日だったと思う。
正直なところ俺の毎日はそれに尽きる。
色々やれなくてあんまりだった日か、いろいろできて良かった日か。
昼ご飯を食べた日か、食べなかった日か。
昨日はというと食べた日だった。
家で肉とネギをいためた。
現在わが自宅にはふるさと納税で届いた肉類や冷凍食品がごった返しており、それを消費しないとならない。
俺はこんなに食材があってうれしい悲鳴だよと思っていたが、嫁はんは「もっと味噌汁とか、おからとか粗食がたべたい」という。
育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めないとはよく言ったものだなまさよし。
ほうれんそうのおひたし。
生活様式や好みのずれを飲み込みながら、運営していかなければならないのが家庭というものだ。
子はかすがいというが、それは2つの引っ張り合う力学の中心にあるということであり常に張力を受ける留め金でもある。
両者の引き合う力を受け止めるには耐える力が必要で、そこに軋轢を生じさせないためにはどちらかが片側の扉に寄り添うしかない。
しかし、己の文化を残すのが人間の文化的生物たる側面でもある。
いかに衝突を避けながら文化を忍ばせるか、それが問題だ。