裸で独りぼっち

マジの日記

『モンタナの目撃者』『父のわび状』ネタバレ感想(ネタバレもくそもないか)

モンタナの目撃者

モンタナの目撃者

なんか懐かしくなった。90年代~2000年代のまあまあのアクション映画ってこんな感じだった。
ツッコみどころもそこそこあるし登場人物もバカだけど、結果としては痛みもありつつ巨悪を倒したよ的な。
初めてのテイラー・シェリダン作品だったので、これが彼のどのくらいの実力なのかがよくわからない。
これが通常営業だとしたらずいぶんフツーの監督だと思う。
まあでも、火事の映像だけは迫力があった。
この映画、逃走者と見せかけて、最終的には火事怖いに着地する。

「なあなあ、そろそろ火事映画とろうや。バックドラフト的な」
「いいっすね!ちょうどいい原作知ってるんすよ。なんかちょうどいい山もあるんだよなあ」
「ほならアメリカおじさん観客をメインターゲットにアクションあり銃撃戦あり陰謀ありちょっとお色気ありでいっちょやってみるか」
「このくらいのバジェットできっちりヒット出してみたいし、それ、賛成っす!」

みたいなやり取りがあったような気がする。
こんな感じを前にも覚えたことがあったなと思ったが、『ジュラシックワールド』を劇場で見た時だった。
あの終わりの「まだこれで、終わりじゃないのさ」のちょっと古い感じがこの映画にもある。

意外性と言えば妊婦の嫁はんの予想以上の活躍で、まさかのなめてた妊婦が最強のサバイバーだった映画なのかよ、と驚く。とにかくウィンド・リバーは見れていないのだが、サスペンスを作るのが上手な作り手であることはよく伝わった。
「こうなるってことはおいおい…こんな最悪な展開になるのでは?」と俺たちに想像させ、妊婦が出てきたときにその想像はかなりハードになる。そして、通りかかった善良な女性をきっちり悪漢が殺害し、その死体の無残っぷりも移すところが効いている。
保安官も、妊婦も、この悪人の前ではどんなひどい目にあわされるかわからないと期待3不安7でドキドキさせられてしまう。
だからこそ、意外と悪漢が仏心を見せるところとか、間抜けなところか、かなり拍子抜けした。
あのあたり、現代の脚本としてはかなり甘いように思えてならない。

どう考えてもあそこまでやる悪人は保安官も妊婦もとっとと殺すし、最初にミスった段階でもっと人数を動員してことを片付けにかかるはずだ。

結局そのあたり、陰謀も悪漢も山火事のための道具立てに過ぎなかったという事情が透けてしまう。
同じ場所を2度も3度も行ったり来たりする点からして、もしかしたら山火事以外の予算が足りなかったのかもしれない。

結構ほかの人の評価を見る限りは、悪くない。

こういう堅実さみたいなのを俺は評価しないきらいがある、と自己分析。

かといって俺のゆう通りにしたら面白い話になるかというとそれは画一的なわけで、人間がたくさんいて、それぞれの完成でクリエイトする意味は完全に理解できた。

でも、俺の視座で文句は言わせてもらうという話である。

だから、映画評論家や研究者は勉強が進むにしたがって背景とかトリビア紹介的なものの突き進んでいってあまり評論自体の大衆向けな面白さはなくなってしまうんだろうな。

 

父のわび状

なるほど、うまい。解説で沢木耕太郎が評する通り、職人的にうまい。さくらももこでも、群ようこでも、およそエッセイ巧者には自分や周囲を突き放した冷徹でシニカルな「観察者」の目線が必要である(確信をもっていう)。かといって意地悪すぎたり読者を黒い笑いへ引き込んでやろうという意図があっては、少なくとも透けてはいけない。あくまで35.5℃の平熱、私たちよりも少し冷めているくらいがちょうどいいのだ。その意味でまさに絶妙の火入れである。『兎と亀』に飛行機事故を恐れる旨が面白く書かれている。その当人が…と考えたときの背筋がうすら寒くなるような気持はなんだろう。

何だろうといえば、心に抱いた不安がそのまま的中してしまうという運命の可能性に対する恐怖なのだけれど。

名前を付けてもいいくらい特殊な心理状態だと思う。

もうついてそう。

きっとそうだろう。

うん。

ところどころに昭和の男尊女卑的な価値観や、暴力性、戦中の話なども出てきて味わい深い。

最後の卵と私における、軍人さんに送った手紙を死地で彼らはどう読んだのかも興味深い。