映画『アナザーラウンド』感想
俺の文章力を考えるに、構成力と推敲力が弱いなと思う。
反対に比喩とか個別の論理構造自体はそこそこ正しい。
まあ、文章力1.0は皆伝していて、2.0はこれからといったところだろうか。
ただ、目に見えない能力なんぞ、自己診断してもなんぼほどの価値があるやろかとむなしくなってしまう。
だから資格ビジネスが捗る。
スイッチのゲーム『泥棒シミュレーター』に少しだけハマっている。
200円で購入した。
グラフィックはPS2みたいだ。
このくらいの安価でコスパのパだけが肥大化したようなコンテンツしか安心して楽しめない。
楽しむことなんか、石ころでだってできるのに、数万円、数十万円拠出するのはよほどの覚悟がないと無理だ。
あるいは、チートとして「人のため」がある。
先日なかなか高級な旅館に泊まったが、もし一人旅だったら絶対あの選択はしなかっただろう。
誰かと楽しむ、喜んでもらえるだろうというプラスアルファの目論見があって初めて高級なレジャー・ホビーというのは成立するのだ。
だから、引き出物とか贈り物ビジネスは悔しいかな、「勝つ」ことがこの年になってすごくわかってきた。
昨日は映画『アナザーラウンド』も観た。
人間の未知の可能性に対する期待感というか、アルコール血中濃度を高めることで常人より高い能力が得られるのでは?という発想は日常派生系SFとかアクションでも使えそうな絶妙なラインだよなと思う。
それを人間ドラマに使ったわけだが、ちょっともったいないくらい。
脳の10%しか解放されてないとか、第六感とか、テロメアを伸ばせば~とかとおんなじ類の話だと思う。そもそも職場にあんなに仲良く酒を飲めるおじさん4人がいる時点でだいぶ幸せだろと思う。最近男性は友達が少ないから不幸でウンタラ~みたいな話を観たが、それならだいぶラッキーなチームであるこのひとら。家族もいるし、なんか金にも困ってないし。
そこからなんか退屈だよなという理由で飲酒に手を染める。歴史の教師マーティン、それでなんだかいい授業ができてしまうわけだが、正直言って飲酒で強くなるとかそういうのと同じくらいファンタジーである。それができるなら最初からやっておけという話だ。
飲酒をしたことで自身が満ち溢れて少し違いが出るとかなら別だが、明らかに授業の組み立てに違いが生じていたじゃないか。ちょっと誘えば家族で旅行に行ってクイズ出し合ってあまつさえテントで嫁はんと一発やったりとか、こういう部分もだいぶ恵まれているところからの話ではあるなと思う。
まあ、恵まれてない人の話ですよという宣伝でもないし別にいいのだけれど、要するに、ダメ人間賛歌的なことでもないということだ。
単に現在でも十分リア充な普通の男が羽目をちょっと外して、ファンタジックな能力を発揮して、しかし大いなる力には大いなる責任が伴うので、代償も払いました。でもスーパーパワーは永遠に不滅です。
みたいな話だ。
スーパーヒーロー酒マンの話だったといえるかもしれない。