裸で独りぼっち

マジの日記

有名人がネットでたたかれることは是か非か

義務と思ってやっていた音楽とか絵とかが今そぎ落とされて仕事したりその合間にピアノ弾いたりになっている。

結局やりたいことなんてなかったのね。

あるいはぐっすり眠りたかったのね。

 

スキルだけしか資産にならないと思っていたが、スキルだって知識だってほっとけば劣化する。今センター試験(大学センター共通試験か)を受けても、碌な点が取れない。

モノやカネしか貯蓄できず、それだって購入したときから価値は逓減していくの。

だから、新しいものばかり好きになってしまう。

そして嫌いになってしまう。

 

夜は鍋を食いながら「有名人がネットでたたかれることは是か非か」について嫁はんと論をかわした。

嫁はんは、非であるという考え方であり、例えばその念頭には皇室問題とか、不倫芸能人に対するヤフコメの誹謗中傷とかがあると思う。

俺は一方、是というか、そんなもん絶対に起こるんだから仕方ねーだろ派。人食いライオンがいる檻に手を突っ込めば指の二・三本失うのは当たり前の事であり、それに対していいとか悪いとかいう議論は発生しないと思う。なんというか沈みゆくタイタニック号の中で高価なツボを割ってしまうことを気にするようなもので、結局「有名である」とか「ポピュリズム」とか「人は他者の痛みを感じられない」とか「この世には格差がある」とかそういう悪いものが現実にはびこっていて、それが時折目の前に醜い形で現れるが、その前から透明化して漂っていたからね。

要するに、議論はすれ違う。

嫁はんは個人の痛みに目を向けるし、俺はどんどん大状況を論じたくなってしまう。

たぶん、対個人と、よりも対人類とか日本社会とかそういうでかいくくりで考える方が万能感が得られて好きなのだ。

隣人を愛するということは隣人と自分という関係性で物事を考えるということであり、俺VSその他みたいな世界観で生きている中二病にはリアルすぎて反吐が出るんだと思うし、そのうえ相手が実のところ隣人ではなく遠くのだれかというのが思考と感性の複雑骨折を招くのだ。