コミュニケーション力
俺はホンネを言えるような勇気あるいはホンネをタテマエっぽく話せる勇気がない。
かといって、タテマエを話すのは嫌なので、コミュニケーションを最初から拒否してしまうことになる。
とはいえ、環境が与えてくれる程度の友達はいるので、普通程度の友達はいるのだけれど、コップの中の水が半分だと不足していると思えてきた。
結局、飲み会とか仕事の話とかスーッと離れて行ってしまうのは、そういう現場では同意か無言の拒否しか選択肢がない気がしているからだ。
乱雑に会話のアクセルを踏んでは衝突事故を起こしたローティーンの経験がいまだに影を落としている。
俺は他者を信用していない。
思いも知らぬスイッチで怒り出すんじゃないかとか、軽蔑しだすんじゃないかとか、俺が恥をかくんじゃないかとか思っている。
嫁はんは俺が人の顔色を窺わないどちらかといえば大胆な人間だと思っていそうだが、結局ひとと接することを最小限にしたがる「態度」が俺の空に引きこもりがちな態度を象徴している。
最近のネット発ミュージシャンはどいつもこいつもコミュニケーション上手だ。
どこからともなくSNSを通じて集まった仲間や絵師などとともにプロジェクトとして作品を作っている気がする。
そういう土壌は以前からコミケや文学フリマ的な現場で成立していたのだと思うけれど、現実のコミュニケーション以上に構築の仕方がわからないな。
と水槽や和ぬかやずとまよなどを聴いて思う。
それとも全部ひとりでやってるマルチ才能パターンだろうか?
でも、違いそうなんだよな。
とはいえ、もっとほんとのことを言うとホンネなんて存在しない。
対話しているときに思い浮かぶ無数の選択肢を選ぶときのカンとか才覚はやっぱり使うことによって磨かれるので、人と会わない生活が続いて鈍っているのが恐ろしいだけではないか。
毎日やっていることなら、きっと俺はうまくできるのだ。