視点がない
嫁はんが熱を出したので看病の一日だった。
といって、家にいるのと飯をつくるのくらいが看病で後は自然治癒力に任せるばかりである。
俺も内臓にダメージを負っており、昼寝をしたり夜は9時に寝たり。
たくさん寝られるのは才能だろうか。
才能だと思う。
その才能を削って別の才能が欲しいと思うときもあるが、でも才能は後から変えられない。
お互いつらいよな。
エッセーとか小説とかの魅力とは、筆者独自のこまやかだったり意地悪だったりする視点で世界を見られるということだ。『今夜月の見える丘に』Aメロの「たとえば君の中どうにかしてAH入っていって その瞳から僕を覗いたらいろんなことちょっとはわかるかも」である。
なんか俺って情景描写ができないよなと思う。
なぜなら、世界を別に観察していないからだ。
常に目の焦点が合っていない。
目は風景を見ているが、どこにもフォーカスしていないのである。
例えば今、家の中を描写すると
「壁に車の絵が一枚、カレンダーが一つ、掛け時計が一つ、絵ハガキが4枚入った額縁がかかっています。12畳ほどのドア付近にキッチンが面しており、そこからまっすぐ、長方形に沿うようにリビングダイニングが続きます。茶色い机が部屋の中央に設置されており──」
となる。
視点がない。
俺は、部屋のどこにも注目せずに生きている。
どこかが変わってしまっても気づかないだろう。
ああ、おそろしい。