文明の火を絶やせ
昨日と逆のことを言いたくなる症候群に罹患している。
というか、歩いて緯度場が整ってきたら乱したくなるのだが、その見出し方が、「通常の逆」といういかにも 安易なものになってしまう。
これは、頭の独創性と身体の自由度が足りないのだ。
こういう人は、公務員に向いている。
と公務員になったこともない男が考えている。
失礼である。
もしもいったんアポカリプスを経て「自然」が発生したならば、俺は人よりうまくやれるはずだ、と思っている人は少なくなさそうだ。
昨日、俺たちは文明に生かされていると書いた。
しかし、ぶんめいは永遠の生命を保証してくれているわけではない。
いずれは死ぬのだ。
また、その前に身体は衰えそこそこの確率でボケたことしか言えなくなり、そこそこの確率で1時間かけても1km進めるか進めないかになる。
今の俺は寿命より先に死ぬるのだ。
そう考えると、一発勝負──ガット野生動物とでも戦って、戦えるうちに死んで…という状態にはそれはそれで幸せがある気がする。
何せ想像力と独創性を持たない俺にとって、幸せは生まれた環境によってほぼ規定されるのだ。
そのメモリは小さい方が楽ちんだ。
少し無理やりの立論になった。
やっぱり、文明は難しい。