裸で独りぼっち

マジの日記

映画『クライ・マッチョ』ネタバレ感想

クライ・マッチョ

結構、わかりやすいというか古典的というか。
『運び屋』はかなり好きだったのでそれよりは落ちるかな。
老人と少年のロードムービーとか、若さゆえにマッチョにがむしゃらにあこがれる若造と苦みを知った老人とか、本当に道具立てが古典的で分かりやすい。
逆に言うと、その古典らしさのおかげでなんであんなそこら中に盗める車があるんだとか、最初の時点でラフォに何で止められなかったんだとか、最終的に見つけた国境の裏道みたいなとこどこだとか、ラフォも仲間連れて来いよとかは、よぎりはしたものの気にならなかった。
これはもはや『映画』という枠組みに入ったものなのでそこをいちいち気にしても仕方がない。
「また会えるわよね?」と言われて答えず背を向けた男が、敵から奪った車でまっすぐ帰ってきて優しく美しい女とダンスして終わりというのは、都合がよすぎて笑った。
スペイン語わからないマイクがその後どうやって暮らしていくのかとかラフォが復讐に来るだろとかいろいろそこも深く考えると闇だらけなのだが、『映画』だからなー、これは。
原作付きということで、単にイーストウッドが好き(もしくは自身にあっていると勧められた)作品を好きに映画化しました。それだけで『映画』になっちゃうんだぜという結論に尽きると思う。
途中でメキシコ警官に「運び屋」疑惑をかけられたのは、『運び屋』からのレファレンスだろう。そのあたりの肩の力の抜け方も含めて、“そういう作品”である。
ただ、もうちょっと「泣け、マッチョ」というテーマについては賦課ぼってほしかったかなと思う。結局マッチョにあこがれている奴とマッチョを挫折した元マッチョのマイクがいるだけで、本当のマッチョがいない。マイクの魂と「手」にマッチョのいいところだけ残されているということかもしれないが、そこと対比する意味でもっとラフォを「現役のマッチョ」にしてほしかった。その対比構造があってこそ、物語がうまくつながるのではないか。
でもまあ、そこまでやる気はなかったんだろうなあ。90歳で映画作っている人になにいってんねん、ワレと突っ込む指先は自分で自分に突き立てている。

f:id:hadahit0:20220128130751p:plain

公式サイト:https://wwws.warnerbros.co.jp/crymacho-movie/anniversary.htmlより

俺がこの中で見たのは『アメリカン・スナイパー』『運び屋』『リチャード・ジュエル』『クライ・マッチョ』の4つだけ。

どんどん振り返ってみていかなければならない。

「ねばならない」と思わねば、俺は何もしない。

「ねばならない」と思うこと(それこそ、マッチョになること)を忌避して駅弁大学文学部に入って新卒入社した企業を3年たたずに退社して主夫になって現在に至ってしまった。

はたらか「ねばならない」もあいさ「ねばならない」も隣人の幸福を願わ「ねばならない」も嫌いだ。

でも、一度マッチョになってからそういうやつと、最初からそう言い続けている奴ではものすごい違いがあるように感じられて、だから何事も早く結論にたどり着けばそれでいいというわけではないんだということである。

 

90歳というと俺の現在の年齢の三倍以上で、そのぐらいまで生き「ねばならない」と思うと苦しいので、その年まで生き抜いた人間を尊敬せなあかんよという、伝統的な価値観をちょっと尊重するくらいにとどめておきたい。