仙人とマクドナルド
嫁はんがぐったりと疲れていたので、マクドナルドを頼んだ。
この年(28)になったって、マクドナルドやピザはごちそうだ。
ドリンクは割りが悪いので注文せず、近所のスーパーに買いに行く。
こうやって、割がいいことを選択する、という能力だけでこの年まで生きてきた気がする。
手元に与えられるメニューがとにかく現代では多いので、その能力は結構有用だったのだけれど、一つ問題がある。
いつまでたっても、“お客さん”みたいな気分さ。
仕事やボランティア活動をアイデンティティにしている人がいる。
そういう人を奇異な目で見てきたのだけれど、やっぱりそれは人間として“正しい”ように思える。
というのも、その思い込みがたとえ幻想だったとしても、結果としてのこった仕事、稼いだ金銭は残るからだ。
俺は「精神の自由」ばかり気にして、何かにとらわれる人間の心を気持ち悪がったり、バカにしたりしてきたけど、精神の自由は肉体の自由に左右されるし、結局自由であろうとすれば山で暮らす仙人になるしかない。
「それが可能か?」
「というか、そうしたいか?」
俺は、首を横に振った。
ボロボロの服を着た仙人は満足そうにうなずき、また山へと帰っていった。
赤く濃い色に染まった空が、まるで山火事みたいで、でも不思議に不吉な予兆とは思えず、俺はただ見送った。
暖かい冬だった。