開館20周年記念 菅木志雄展 〈もの〉の存在と〈場〉の永遠』に行った
美術館に行った。
開館20周年記念 菅木志雄展 〈もの〉の存在と〈場〉の永遠
1時間もかからずに回ってしまった。それくらい素朴で、でん、とものがおいてあり、しかしよく見ると平面に描かれた丸だとおもったものが「凹み」だったり、線と切れ目が等価に配置されていたりして、自分たちの認識と、そこにあるものの差異を意識させられて「あなおもしろや」となるしくみ。
こんなやつである。
せっかくいいカメラを買ったのだからと、美術館には持っていくようにしていたのだが、今回は忘れてスマホで撮った。
でもそれで、特に困らない。
カメラは俺の欲望が買わせただけで、本当に必要なものではなかったと思う。
でも、買わないという選択肢はなかった。
しかし、お金が本当になかったら?
──買わなくても何にも困らないだろう。
だから、俺は働く気にならない。
生きたいという本能めいた感情すら、どこか大きな人間という種の意思に操作されている欲望に過ぎない気がするから。
ここから、<もの>の話に引き戻そう。
うーん、、つまりその、アフォーダンスという言葉があるだろう?
ものが指し示す意味のこと。
それに我々は日常的に操作されているわけで、なんというか癪である。
で、その「なんというか癪である」「合理的だし逃れられないけど!」に対抗するのが芸術の意味だと思うので、俺はすごく押していきたいよ。
うーん、まあでもこじつけっぽいか。
嫁はんは「こどものころの工作を思い出した」と言っていた。
工作をする子供だったらしい。