裸で独りぼっち

マジの日記

映画『フレンチ・ディスパッチ』ネタバレ感想

フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊

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今まで、『犬が島』『ファンタスティックMr.FOX』だけ見ている。
俺とウェス・アンダーソンは友達になれないんじゃないか、というか一見似たような趣味を持っているんだけど、決定的に話は合わなくて、オマケに向こうは俺には理解できない「世界」を持っているので、こちらは共感できず、ただ遠くから見ているだけしかできないんじゃないか──。
そう思っていたが、意外とこの映画を見ると、手を握り合えないまでも、指先くらいは触れあえた気がする。

まず、この映画、3つの短編が「雑誌」の紹介という形式を通して上映される、というのが本質なので、話を理解しやすい。

1つ目は、アートの記事。ある犯罪者兼、アクションアーティストの20年以上にわたる創作の歴史について。
2つ目は、政治の記事。女性記者の目を通した、学生運動と、チェス革命、一人の革命家の死について。
3つ目は、料理の記事。実に「活字的」な記憶力を持つ記者による、刑務所料理のリポート記事(のはずが…)。

それぞれ一個の独立した話であり、特に関連はない。
まじでない
長編に耐えうる話を作ろうとすると全体を通ずる伏線とか、アクションとか、登場人物の強い動機とかが必要になってくるのだが、そういうベタベタな味のものから距離を置きたいであろう、ウェス・アンダーソンのような監督にとって、短編という長さはちょうどいいし、さらにそれを雑誌としてまとめることができるやり方を思いついたのは、確かに冴えている

しかも、ひとつの短編の中なら意外とひねりの効いた落ちとか展開、あるいはメッセージ性が感じさせられるセリフがあって、なんか、ちゃんと「ストーリー」ができるということがわかる。

──なんだ、これがやりたかったんじゃん
と思うと、今まで得体のしれない勝手な奴に思えたアンダーソン君が人気者である理由がよくわかる。
って、実写作品を初めて見ることになった俺が言うのも変な話だ。
他のやつも見ようと思う

P.S)うなり声とか、食卓のシーンでのとびかからんとする勢いとか、乏しい視聴体験でも共通するものがあったんだが、これはウェス・アンダーソンの得意技なのか?

P.S.2)「刑務官の女性は囚人と恋しがち」とか「ほんとはパートナーのいない現状は寂しい」とか「ゲイなので方向オンチ」とか、現代的な価値観に照らすと偏見つよめなセリフ部分があったが、これは無意識に看過された部分なのか、これはダメよなという部分も含めてギャグなのか? わからず。

昔はケッと思っていたものが大きくなってくるにつれて許せてくる現象、あると思います!。

forgiveは「許す」で、forgetは「忘れる」。

相手に対して関係性を「与える(give)」のが許しで、取り返す(get)が忘れるということだろうか。

しかし、実際のところ、許すためには忘れるのが一番である。

いや、それはでも本当には許したことにはならないのかもしれないな。

赦すのは難しい……。

 

という中で、俺とウェス・アンダーソンが手に手を取り合えたのは何とステキにジャパネスク。

嫁はんは雑誌文化が好きで、でも、青文字系雑誌Zipperが復刊するというニュースには否定的だった。

 

若いもんの文化が育っているのに懐古厨がのさばるのはわるい

 

──だとさ。

そもそも雑誌という懐古的なものを君は愛しており、昔の小説やレシピ本、デザインやファッションを愛しているのではないかと俺は思うが、それは彼女の中にも相反する気持ちがあるのだろう。

 

アートと企業活動。

映画とインディペンデント。

俺とウェス・アンダーソン